NAK開発秘話Product story
略 歴
- 1961年 3月
- 名古屋大学工学部金属工学科卒
- 1961年 4月
- 大同製鋼(株) (現 大同特殊鋼)入社
研究所物理冶金研究課配属。鉄鋼材料開発及び熱処理に関する研究開発に従事。1971年、工学博士号取得。 - 1978年 3月
- 星崎工場 技術第一課長
- 1985年10月
- 技術サービス第一部長
- 1992年 6月
- 取締役営業本部東京技術サービス部長
- 1994年 6月
- 常務取締役素形材事業部長
- 2000年 6月
- 特別技術顧問
- 2003年 1月
- 顧問退任
1. NAK開発のルーツ
入社のきっかけと当時の業務
まず、渡邊さんが大同に入社したきっかけを教えてください。
私は材料系の工学部出身なんですが、武田修三先生という方がいまして。三元系状態図の専門の。その研究室の卒業者は、和歌山にある高炉メーカーに入ると決まってたんですよ。実は私の実家は岡崎の味噌屋で。当然、味噌たまりの醸造をやらないかんのに、どういうわけか材料をやりだした経緯で和歌山に行くという話になっちゃって。それで怒った祖母が、そんなつもりで大学に行かせたわけではない!と怒り狂って大学に文句を言いに行ったんですよ。その剣幕に押された大学の方から、それなら岡崎に近い、大同の研究所に入った方がいいと勧められた。そういうことなら自分が面倒を見る、と当時の浅田千秋所長からお墨付きをもらって入りました。
入社当時はどういうお仕事を?
とにかく文献を読み漁ってましたよ。ドイツ語の「特殊鋼便覧」を毎日読んで、日本語に訳したものを提出する、それを1年ぐらいやってました。
開発スタートは所長の鶴の一声
「渡邊は、その逆のものを作れ」
当時、日本の工業は黎明期だから、アメリカの先進プロセスにみんな興味を持っていました。浅田所長もその一人で、ある日、「アメリカの工業雑誌に面白い材料が載っている。これと似たような、もう少し合金元素を少なくして新しい材料を作ることを考えなさい」と言われた。「普通の特殊鋼は焼入れして硬くして、あとは軟らかくする。渡邊はその逆のものを作れ」と。
渡された雑誌というのは?
今はもう廃刊になっていますけど、「メタル・プログレス」という雑誌ですね。当時、そういう先進的な材料をやろうというのが盛んだった。私も非常に面白いと思ってのめり込んで。そしたら元素によって色々周期性があるな、と。ニッケルやアルミニウムを使った硬化なんてあまりないでしょ?硬さは普通、カーボン(C:炭素)で出しますよね。でも金属間化合物を使うと、材料は面白い性質を出すというのがわかってきました。
がむしゃらに500種類もの材料を作った
「焼入れしたら軟らかい、あとで硬くなる、そういうものを作りなさい」と言われても、はじめは皆目見当がつかないんですよね。当時は計算で金属組織の予測ができなかったから、直感的に狙いを定めて、500種類ぐらいの材料をつくったんですよ。馬鹿みたいに。今の世の中だったらそんなまどろっこしいことはやっててもしょうがないと言われてしまうかもしれない。でも、この中にきっとあるはずだ、と。
その500種類つくるというのは、大体どれぐらいの期間?
いやぁ2年間ぐらいかなぁ。当時、小さな500gの溶解炉を使って、日々溶かしては固め、溶かしては固めですね。そうすると思わぬものが出るんですよね、たまに。
何かそういう逆の発想で材料ができるという、基礎的なヒントが?
鋼の中に細かい粒子が出てくると全体が硬くなりますよね。その細かい粒子になる元素はなんなのか。色々調べてだんだん絞っていって。「ニッケル」と「アルミニウム」と「カッパー(Cu:銅)」を上手いこと組み合わせることによって、後から硬くなる。そういう材料ができました。
「カッパー」を入れた独創的な理由、ヒントは実験データとアルニコ磁石
ここが非常に独創的だと思うんですが、「カッパー」を入れるという発想はどこから?
500種類作った実験データからですよ。3%ニッケルで析出硬化するようにするにはどうすればいいか、第三元素に何を使おうかと考えるじゃないですか。そしたら、たまたまね、アルニコ磁石に目が留まった。アルミニウム、ニッケル、コバルトと少量のカッパー。アルニコ磁石は、マトリックス(基地)はフェライト(体心立方格子)で、NiAl(ニッケルとアルミニウムの金属間化合物)が析出物として出てくる。それならば、今開発している材料にもカッパーを入れるとNiAlが出やすくなり、より硬くなる可能性があるんじゃないか?と。ヤマ勘ですよね。
いや、非常にユニークというか、なかなか思いつかないですよね!
金型ニーズの発掘、
NAK55の誕生
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